夏の苦い思い出。

思考回路

1985年8月12日の、日航機墜落事故から37年が経った。

私は当時、小学生。

事故後、宿題のひとこと日記を巡り、
緊急学級会が開かれた。

「墜落事故のことばかりで、テレビが面白くない。」

そんな日記に対してどう思いますか?
という、担任の問いかけに、手を挙げて

「死んだ人がかわいそう」「ひどい」
「自分の事しか考えてない」
「大きな事故だから仕方ない」

積極的に意見を出していく。

毎年、日航機墜落事故の頃になると、
この小学生の時の一コマを思い出さずにいられない。

そう。
この最悪な日記を書いたのは、何を隠そう、私。

この日記を出す日、これを見た母に

「こんな事書いていいの?」

と咎められたのだ。
でも、私はあまり深く考えず、そのまま提出してしまった。
子どもとは言え、あまりにも常識を欠いていた・・・

その緊急学級会の間、
先生は、誰がそれを書いたかは言わなかったけど、
私は、自分の事だと分かっているから、
本当に、居たたまれなかった。

しれっと帰路についたか・・・?
泣きながら先生に謝りに行ったか・・・?
その後の記憶はないのだが、
激しく後悔したことは言うまでもない。

亡くなった方一人一人に、大切な家族がいて、
それぞれの人生があったのだと、
今なら、当たり前に分かるけれど、
子供だった私にそんな想像力はなかった・・・

多分、こんな事を覚えてる同級生はいないだろうけど、
私にとって、

忘れたくても忘れられない、
忘れてはいけない、
苦い経験です。

実は、
若い時はこの出来事を忘れていました。
でも、自分の子供を持ち、子供が成長するにつれ、
夏になると思い出すように。

小学生の時は、身体も小さくて
大人しくて目立たない子だった私。
担任の先生もさぞビックリしただろうな。

実は、翌年も懲りずに爆弾発言をして、
担任の先生を心底ビックリさせてしまったのです。

中学の卒業文集には、”一番印象に残ったこと”
を書けと言われ、部活で先生に殴られた事を
つらつらと書いたら(ちゃんといい話だった)
全ボツを食らった事もある。

どっかのネジが足りない、
馬鹿正直な子供だったようです。


・・・あの夏、自分の日記について、考える機会をくれた
先生に感謝している。

現に、私の心に深く刻まれているのだから。

子どもが悪い事をしたとき、
それが小さなうちに誰かに見つけてもらえたら、
とても幸運なこと。

と友達が言っていたけど、本当にその通りだ。

怒られるという事は、
誰かがちゃんと見ていてくれて、関わってくれたということ。


怒られた経験は、後から後からゆーっくり効いてくる。

子どもが誰かに怒られた事に、
動揺せず、怒らず、必要以上に落ち込まず、
寛容であってほしい、と経験者は思う。

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