遺志整理(1)

思考回路

亡母の情熱が、くすぶっている。

5月、私は母に突き動かされていたような気がする。
途中から、自分の意思なのか、母の遺志なのか
分からなくなってしまった。

昨年亡くなった母の相続の手続きが筒がなく終わった
5月初めから、放置していた実家の片づけを
少しづつ始めた。

趣味の多い人だったから、色々と大事にしまってある。
トロフィーや、賞状もたくさんあった。
満ち足りていた瞬間もあったのだな・・・と思いながら、
全て袋に放り込んでいた。
ピアノも下取りに出した。


母が最も大切にしていた趣味である、油絵の作品。
いつくかは立派な額に入っていて、部屋を占領していた。

これらを、いったいどうしたらいいのだろう?

生前からずっと気がかりだったこの課題は、
全く解決策が浮かばす悩んでいた。

何も考えないで、粗大ごみに出す

急いでどうにかする必要もない。けど。

本当に本当の最期はこうなるしかないのだけど、
何度そう思っても、羽交い絞めにされているような
気持ちになる。

素人が書いた絵を欲しい人、
どこの誰が書いたか分からない絵を欲しい人、
そんなの居るはずないし、探し方も分からない。

何度も仕舞ってある箱から出して、見るたびに、

自分の母という事を差し置いても、
やっぱり、上手だな。

と思い、捨てられるはずもなく、また箱に戻す。
を繰り返していた。

何も解決せず、日々は過ぎていた。

ある火曜日、半年以上放置していた畑で
小さな玉ねぎとニンニクを収穫していた。
久しぶりの作業で、クタクタになっていたら、
初老の女性に声をかけられた。

「Ⅾさんですか?お久しぶりです」

母と勘違いしているとすぐに気が付き、
自分は長女で、母は去年亡くなった事を告げる。

女性は、その昔母と同じ教室で油絵を習っていた。
絵の処分に困っている、
なんて世間話のつもりで話していたのだけど、

「あなたのお母さんの絵は本当に特別で、
 誰にでも描けるような絵じゃないの。
 捨てたりしちゃだめ。
 きっと欲しい人がいる。」

と力強く褒めてくれた。
でも、そんな人どこにいるの?
どうやって探すの?

とまた途方に暮れかけたら、

「絵を好きな人って、割といるから、 
 顔の広い知り合いに聞いてみてあげる。」

と連絡先を交換したのだけど、
10分もしないうちに、その”顔の広い人”を連れて
戻って来てくれた。

その”顔の広い人”は、私もよく知る人物で、
確かに”顔の広い人”だった。

その男性は、

「ちょうどこの週末に、地区の公民館で催しがあるから
そこに絵を持っておいでよ。」

と、提案してくれた。




半年ぶりに畑にいた私。

その日、たまたまそこを通った女性。
母には、10年以上連絡もしていなかったという。

その女性が連れて来た顔の広い男性は、
私が子供の頃通っていた書道教室の先生。

自分ではどうにも出来なかったことが、起きた。

ありがたくて、偶然過ぎて、
さすがにちょっと泣いた。


『死後、ひとつだけ思い通りに出来る』

もし、あの世でそんな権利があるとしたら、
母は、間違いなく今、その権利を行使したのだと
ありもしない事を妄想しながら、

週末まで、母の絵を綺麗に整えながら
時間を過ごした。

もらってくれる人がいるかどうか分からないけど、
人手に渡ったらもう二度と見ることができない。

ひとつ、ひとつ
綺麗に拭いて、写真を撮った。
遺影のように。

地区の公民館に持って行くとは言っても、
母の絵を見たこともないのに、
大盤振る舞いすぎやしないかい?
やっぱり、お呼びでないかも・・・と
週末まで気持ちはグチャグチャだった。




そういえば、
我が家の玄関にも、母の絵を飾っていた。
母が亡くなる少し前に、
いきなり紐が切れて、絵が落ちた。

幸い、額のガラスも割れずその時は
ビックリしたー!
くらいの感情だったのだけど、
あれも母の仕業だったのかもしれない。

「もう、限界です。じゃ~ね。」て。

遺志整理(2)に続く

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