羨ましいの中身。

思考回路

時々、図書館で本を借りたり、
本屋さんでサラッと立ち読みしたりするのが、

「イイ感じの生活をしてる人」

の本。
いかに綺麗に片付いた部屋をキープするか、
どうやってモノを淘汰していくか、
減らしたものの中から、
選び抜いた道具たちの紹介、
家事諸々のコツ、

何か、参考になればいいな

と思って幾度となく手に取ってみたけど、
何も変わる事はなった。

最近も、そんな本を二冊ほど借りて読んだのだが、
なんで、ずっと憧れは憧れのままで、
自分との距離は縮まないのだろう、

と、ふと考えてみた。

本の中に出てくる美しい部屋も思考も、
著書のものであり、私のものではない。



そもそも、
全く違う環境で育ち、試行錯誤した誰かが行きついた
現在地をいいとこどりして、真似しようとすること自体、
焼き付けもいいところじゃないか。
という気持ちになった。

少し前は、料理研究家の誰それが使ってる
キッチン用品とかを自分も買ってみたりした。
(ほぼ、お気に入りになっている事が多い)

でも、いい意味でも悪い意味でも、

”モノは、買って終わり”

自分の思考は、その誰かの足元にも及ばないのだ。

そりゃそうだよね。

自分で色々やってみた中から選び抜いたものじゃなくて、
誰かが選び抜いてくれたものを買っただけなんだから。

本や雑誌に出てくる人は素敵で羨ましい。

でも、その人が持ってるものや、
綺麗に片付いた部屋や
インテリアのセンスが羨ましいのではない。

たぶん

私には、最低限これが必要だというものを選び、
信じつづける事ができる、そのブレない強さ

自分の事を知り尽くしている

それが一番羨ましいのだ。

50歳を目前にして、
私はまだ、自分の事が分かっていない。
ブレまくっている。
人の影響なんて受けませんよ~って顔して
人の影響を受けまくっている。

しかし

こんな自分はダメじゃないとも思う。
私にだって、
自分で見つけて何十年も使ってる
自分にとって最高の道具や食器がいくつもある。
決して高価なものもない。

それは疑いようもなく、生活に必要で、
存在を忘れてしまう位当たり前にそこにある。

きっと、誰にでもそういうものがあるはず。

私たちの毎日は、自分のものだし、
誰かに紹介するため、
ましてや、
自慢や羨ましいと思ってもらうためではない。

自分が信頼して使っているものの存在を忘れ、
どこぞやの誰かのおススメに手を出す・・・
いつまで隣の芝ばかり見てる気だ?

自分には、これがないと困るな。
これは見るたびに、使うたびに好きだな。
ってものを時々確認してみると、

私の生活もそんなに悪くない。

って思う。

私の愛読書

「小さな生活」 著 津田晴美

の中に、センスについて書かれてる項がある。

センスがいい人とは
何かを手に入れる時それが自分にとってどういうものか問う
百人がそれを嫌いだとしても、自分は好きと確信する。

センスが身につくとは
好きと思うものと相思相愛の歴史を重ねる事。

センスは時間をかけて、
全く個人的な揺るぎない関係を得ることから始まる。
(※一部を引用、抜粋)

「小さな生活」津田晴美


そう。
センスは一朝一夕では身につかないらしい。

長く長く、時間をかけて信頼できる何かが
身の回りに何か一つでもあるなら、
それこそが唯一無二の私のセンスだと思おう。

部屋が片付かなくても、
モノが多くて捨てられなくても、
憂う事はない。


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