日曜日の朝イチ、厳選した母の絵を積んで、
公民館に運び込んだ。
大きすぎず、暗すぎず、
部屋に飾っても良さそうなやつ
あまりたくさん持って行って、
全然もらわれないのもショックだし、
色々考えて、7点を飾らせてもらう事にした。
会場は、ちょっとしたカフェになっていた。
絵を持ってきた○○です。
とオズオズと入って行ったら、
会場の準備をしていたおじ様方に、
待ってたよ~と大歓迎を受けて、安心して
絵を運び込んだ。
どこに絵を並べるか、
子供が走ったりして、危なくないか、
こっちの方がよく見える・・・絵tc
もう本当に一生懸命考えて下さって、
絵も褒めて下さり、既に胸がいっぱいに。
初めは、
”ご自由にお持ち帰り下さい”
にするつもりだったのだけど、
どこの誰がもらってくれたのか知っておきたいと思い、
後日お届けすることにして、
名前と連絡先を書いて頂く事にした。
小さめの絵は、並べてすぐに欲しい方が現れた。
ありがたくて、
ほんとうに、ありがたくて。
催しは、正午までだったので、
その頃に公民館に絵を引き取りに行ったら、
5点は貰い手がついていて、残った2点は、
「この公民館に飾る事にしたよ。だから完売!」
おじ様が豪快にそう言った。
嬉しいけどちょっと恥ずかしいし、
でも、ほんとうにありがたくて。
その日の夕方と、翌日。
私は、名乗り出て下さった方に順番に連絡して
一人ずつ、直接絵を届けた。
誰一人、母と面識はなかった。
遺品であることも、既に理解いただいていた。
母の絵を届けると、
皆さん、
「この絵の、ここが特に好きで」
「ここに、飾ろうと思ってて」
と、場所を用意していたり、
おうちに案内して下さり他の絵を見せてくださったり、
母の絵を大事にしてくれそうだと、思える方ばかりだった。
「この絵に呼ばれた気がした」
「絵から情熱が伝わってくる。
私の励みにしたい」
そう言って涙ぐむ方々もいらっしゃった。
全く知らない人に、そう思わせる作品。
自分の母がすごい人だったと、知った。
いくら素人が描いた絵でも、
タダであげてはいけない。
生前、母はよく言っていた。
”タダだと、粗末にされる”という意味なのだが、
私はこの目で確認した。
お母さんの絵を大切にしてくれる人ばかりだから
大丈夫だよ、と伝えたい。
この、個人的な小さなプロジェクトに関わった
全ての人が幸せでありますように。
『死後、ひとつだけ思い通りに出来る』
もし、そんな権利があったら、
何を、どうするつもり?
つまり、それが
今、一生懸命に取り組むべきこと。
なのです。
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