泣いているのは。

思考回路

小さな子どもさんや、赤ちゃんを連れて
買い物しているお母さんを見かける。

時にはお母さんひとりに対して、
2人とか、3人なんてもう、女神でしょ。
(かつて、私も女神だった)

マタハラ、子持ち様だの
電車やバスでベビーカーが邪魔だの、と
時々取り上げられているけど、
一部の心ない人が揶揄しているだけだと
思いたいところ。


時々、出かけた先で
盛大に泣いている子どもを見かける。

ひとりでいたら、もちろん迷子かもと
何かしら手を尽くすけど、
お母さんと居る場合の話ね。

うちの母世代なんかは、
お節介なもので、

「あらー、どうしたの、
 そんなに泣いて。ほら、見てごらん」

なんて、手遊びして見せたりしていた。
今は、そんな人あんまり見かけないな。

近くに盛大に泣いている子どもがいても、
私は、母のようにはしない。

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なぜなら、自分が子育て中に
そう言う声かけをしてもらうより、
放っておいてほしいタイプだったから。

子どもが外でギャン泣きしてる時なんて、
お母さんだって内心ギャン泣きで、
そういう時に、他人に気を遣われて
それにお礼とかリアクションするのが
辛いと思ってしまうタイプだった。

もちろん、親切な人に心が救われたことも
たくさんあるけれど。

自分の子が、
こうなったらもう何を言ってもダメ

と分かった上での毅然とした態度(あきらめ)を
冷たいお母さんだと捉えられ、

こんなに泣いている子どもに、対処してない

って言う状況に、責められているような
気持ちもした。

実際、

「こういう時は、こうしてあげなきゃ」

みたいに”親切に”ダメ出ししてくる人も
いたしな。
泣きたいのはこっちだよ、を
必死で耐えてるのにさ。

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それを踏まえて。

ギャン泣き母子と遭遇すると、
毎回、心がザワザワするのである。

でも、何もしないで、
一生懸命に気がつかないフリをする。

あなたの子どもの泣き声なんて、
聞こえてませんから〜
全然うるさくないですから〜
平常運転ですから〜

てな具合に。

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でも、いつも後から思うのだ。


大丈夫?
どうしたの?
大変だね。
頑張ってるね。

何か、声をかければ良かったのかな?
でも、こんなのは優しさじゃない。

あ、大丈夫です。
機嫌悪くて
はぁ・・・
はぁ・・・

かけようと思った問いの答えを想像して、
相手の助けにはなりそうもない。
かえって、面倒か。

そうやって、無関心な顔をして何もしない。


誰も声をかけないことを、
誰も助けてくれないと思わないで欲しい。

ギャン泣きのまま、
そこにいて良いってことだと、
そう、受け取って欲しい。

ギャン泣きに遭遇すると、
その場にいる人々を観察してしまう。

あからさまに、嫌な顔、迷惑そうな態度の人は
いないだろうか、と。

でも、意外とみんな気にしていないな、と
思う事が多い。
電車とか、劇場とかだと違うのかもだけど。


人の助けというのは、無きに等しい。

母の介護で、
そんな身もふたもない事を悟った。

民間のサービスとか、相談とか、
そりゃ、利用できるものは色々あるにはある。

でも、今、この時。
この瞬間の”もう無理”を
助けてくれる人、代わりになる人って
笑っちゃうくらい、いなかった。

子育ても介護も、”乗り越えた”という感覚はない。

ただ、時間が過ぎただけだった。

一応、3人の子供を育てたけれど、
子育て中の人に寄り添うような、
気の利いた言葉が、何にも思い浮かばない。

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