趣味と遊び

思考回路

最近、ある人に会って、人生において、
とっても重要な事に気が付いた。

趣味と遊びは違う

という事に・・・


家でお菓子やパンを焼いたり、ブログを書いたり、
仕事もしないで好きな事ばっかりやっている生活。

毎日毎日好きな事ばっかりやって、
遊んでばかりいる生活。

だと思っていたのだが、


私は全然遊んでなかった。

心療内科の帰り道。

5月。心療内科へ行った時の事。

病院の近くに住む、母の妹夫婦(おじ、おば)を訪ねた。
遠い場所ではないけど、もう2年位会っていなかった。

病院へ行って、自分の風向きが変わったのかな。
立ち寄って顔を見に行こうと急に思い立った。

全くの思い付きだったし、たまたま携帯も忘れて、
アポなしで、手ぶら。

それでも姪っ子である私を大歓迎して迎え入れてくれた。
おじさん、おばさんって、
いくつになっても、そういう存在であるのが嬉しい。

いつでも、人生の先輩。

おじ、おば。って、親以外の身近な人生の先輩。


子どもの頃は、
怖いと思っていたおばさん(怖くてご飯絶対残せなかった)
無口で、いつもテレビを見ながらお酒を飲んでたおじさん
(まともにしゃべったのは、大人になってから)

特に、子供を持ってから、
おばさんとはよく話し込んだし、
私に、とてもいい影響を与えてくれた。

おじさんの元気の源を探る。

でも、そんなおばさんも、現在は要介護4。
(重度の認知症です)
自分の事をなにもできない状態になった。

姉であるふくちゃんよりも、早く認知症を発症したから、
かなり長い間、おじさんはおばさんの世話をしている。

お母さんが(おばさん)、嫌がるから。
お母さんが、迷惑かけちゃうから。

と、

デイサービスや、訪問看護などは、
ほぼ利用していないという話は聞いていたから、
ボロボロに疲れたおじさんを想像していた。

それなのに、久しぶりにあったおじさんは、
もう、めちゃめちゃ元気なの。

一応後期高齢者の仲間入りしてるわけだけど、
なんだか、生き生きしていた。

おじさんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら
話をしていたら、その元気の源が何か、
すぐに分かった。

おばさんの介護をしつつも、


自分がやりたいことは
何一つあきらめていなかったのだ!

ずっと遊び続ける後期高齢者。

  • 月に4,5回ゴルフへ
  • 広い山を持つ友人のところへ
    キノコ狩り→飲み会
  • 地元(岡山)で同窓会→飲み会
  • 多分、パチンコも好き。
  • ボランティア色々

など、楽しそうなことばかりしていた。
それ以外にも、とにかく顔が広いので、
あらゆるお誘いはしょっちゅうある様子。

おばさんの介護を理由に断らないで
出かけて行くからまた誘われる。

ある程度の経済的余裕もあるのだろう。

その間。
自分じゃ食べれない、動けないおばさんの世話は
時間が自由な仕事をしてる三男に頼むのだと言う。

でも、丸投げするわけじゃなくて、
例えばゴルフの日なんかは、
超早起きしておばさんの着替えや食事の世話など
ちゃんと一通りしてから出かけるそうで。

他にも、びっくりした事。
元々持っていたセダンの他に、
買い物用の軽自動車と、軽トラが増えていたけど、
全部おじさんの車だった!!!

軽トラは、ボランティアで草刈りや
花壇の手入れなどしてて、
汚れてもいい車。なんだって。

そろそろ、免許返納しなよ!って歳に
車増やしてるおじさん(笑)

どーかしてるよ。

仕事してる現役時代も、
スケールが大きなイメージはあったけど、
ここまでとは。

遊ぶって本当に元気の源なんだ。
で、どんな状況でも人って遊べるんだ。

おじさんと会った帰り道、
わたし、めちゃくちゃワクワクしてた。

遊びと趣味はちがうよー

おばさんは、すーんごい多趣味で、
表装とか、彫刻とか、陶芸とか、
文化的な創作活動が大好きな人だった。

おばさん、趣味もたくさんあって
楽しそうだったのに、
なんでぼけちゃったんだろー?

って私がボソッと言ったら、

「そりゃ、お母さんはものすごい真面目だから。
趣味でも何でも突き詰めちゃうから」

私が不思議に思って、
「趣味は遊びじゃないって事?」
と聞いたら、

「そりゃ趣味と遊びは違うよー。」

と即答...

「おばさんは、全然遊ばない人」
と、おじさんの目には映っていたのだ。

そうだったのか!!!

私が遊んでいたと思ってた事は全て、
遊びじゃなかったんだ・・・

と、同時に、私の認知症リスク爆上がり~⇗

人は変わらないで、変われる。

おじさんは、本当にいい顔をしていた。
朝から晩までおばさんの世話を一人でしている人の
顔じゃない。

にこやかで、大らかな人。
私が今までで会った人の中で、
一番人望がある人の一人。
何事にも動じない、
本当にスケールの大きな男なのだ。
それは今も、昔も変わらない。

おばさんは、家の事が大好きだったので、
おじさんは家では一歩も動かない人だった。
ずっとテレビの前で酒かコーヒーとタバコ(昭和だ)

そんなおじさんが、家の事を一手に引き受けて
今の状態になるまでには、たぶん紆余曲折
あったのだと思う。
いくつになっても、人って変われるんだな。

私がふくちゃんの介護に辟易していたのは、
「なんで私が???」
根底にその思考がずっとあったから。
私は、変われなかった・・・。

まぁ、親子と夫婦だとまた違う感情なんだろうけど。

「お母さん、言葉忘れちゃったんだよ」

”喋れなくなった”じゃなくて、
”言葉を忘れた”という表現に、
なんだかおじさんの優しさを感じた。

男だけだからうまく行く?!

もうひとつ、バランスがいいな、と思ったことがあった。

おじさん夫婦には、息子が3人。
何かを頼むときは、男同士になる。
これって、かなりいい気がする。

例えば、私が兄に頼むと色々と細かくなっちゃうんだよ。
だから、頼まれる方もものすごく負担になっちゃう。

その点、男が男に頼むって
これと、これお願い。以上。
みたいに実にシンプルな気がするのだ。

「趣味」と「遊び」の定義。

さあ、chocofumiの大好きな定義の時間だよー。

遊びと趣味の明確な違いって考えた事ある?
なんとなーく分かるけど、はっきりとは・・・

短く説明しますよー。

趣味は生産的。継続的

遊びは消費的。一時的

私のやってる事は、完全に趣味で、
遊びじゃなかった・・・。
嬉しいような、悲しいような。

一見、無駄に思ってしまうような事が、
やっぱり人生を豊かにするものなのかもしれない。

そっこーで遊びに行く。

おじさんに会って、数日後。

単細胞な私は、
旅行の計画をしてチケットを買った。

と言っても、長女に会いに行く目的ですけど。

金曜日の夜
サラリーマンに交じって味噌ラーメンを食らう
ガラス工房でトンボ玉体験。
これぞ、遊び!!!

遊びは消費的で一時的。
とにかく、お金と体力を使う。

いつもの趣味と違って、
その場限りの一発勝負なのだ。

いつもと違う脳を使った気がするー。

帰宅してから、楽しい今後の事もあれこれ浮かび、
本当に、いい刺激となった。

自分の人生を諦めちゃダメなんだよ。
楽しい事を諦めちゃダメんだんだよ。
おじさんに教えられた。

しっかし、目下の課題。
遊びには金策は必須である・・・。

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