『希望を持つ』という事。

介護

2022年2月下旬に、母・ふくちゃんが
グループホームに入居して、4か月が過ぎました。

現在も面会は原則禁止で、
会うのは通院の時なので、月に1,2度ほど。

6月のとある日、
通院の為、ホームの玄関に入ると、
みんなで作ったであろう賑やかな七夕の笹飾りが
迎えてくれた。

認知症の人は、どんな事をお願いするのだろう?

ちょっと興味を惹かれて見ていると、
そのうちの一つの短冊の願いごとを見て、
心臓をギュッと掴まれたような感覚になった。

~一日も早く、家に帰れますように~

名前を見ると、ふくちゃんでは無かった・・・
けれども、他人事ではないような気がした。


同じ、叶わない願いでも、

”サッカー選手になりたい”

とかなら、こんな気持ちにはならないのだろう。

「自分の家に帰る」という当たり前の事を
願いごとにしなくちゃいけない状況・・・
ささやかで欲のない願いごと。
なんて、やるせないんだろう。

だけど。

同じくらい、温かい気持ちにもなった。

希望をもっている

という事実に。

もちろん、実際に家に帰る事は出来ないけれど、

どーせ家に帰れない。

よりも、

いつか家に帰れる。

って思ってた方が、幸せ。


”希望”は可能か不可能か関係ない。

可能か不可能かが重要な場合、それは
希望ではなく、欲望なのである。

たとえ明日世界が滅びるとしても

私は今日リンゴの樹を植える。

コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ
(ルーマニアの作家)

↑大好きな我が家の日めくりカレンダー

”日めくり 中学生で出会っておきたい31の言葉”より

この言葉の解釈は、難しい・・・。


どんな状況でも希望を持つ。

単純に、そう捉えられるけど、


どんな状況でも、
自分のやるべき(出来る)事をやる、
自分らしくいる、
今まで通りして来たことをする、

・・・などなど色んな解釈ができるかと。


私なら・・・

例えあした世界が滅びるとしても、
私は、今日、明日食べるパンを焼く

あ。。。欲望がダダ漏れ~

皆さんにとっての、リンゴの樹って、
なんでしょう?

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