ちょうど良いボランティア

思考回路

毎月一回、朝の時間。
地元の小学校で、読み聞かせに参加しています。

時間にしたら、15分ほど。
事前に図書館に行き、
絵本を探している時間が好きなのです。

前に読んだ本、
新しい本、
古いけど、読んだことなかった本。

自分の子供にはもう必要ないけど、
私はまだまだたくさんの絵本に出会う事ができる。

一緒に活動しているメンバーにも恵まれている。
終わったら、慌てて仕事へ向かう人。
ちょっとおしゃべりする人。
同調圧力みたいなものがなくて、
みんな自由で居心地がいい。

あまりに張り切っている人がいたりすると、
帰るに帰れなかったり、ちょっと負担に感じてしまう。

少しの緊張感と、楽しみ。
朝がちょっと慌ただしいけど、

“ちょうど良いボランティア”

なのです。

週に2時間。

人が幸せや充実感を得るのに、
”ちょうど良いボランティア時間”
というのがあるのを最近知った。

それが、年間100時間。
週に2時間なんだそうです。

それ以上になると、負担を感じたり、義務感が出て
満足度が落ちてしまう、というのです。

〇〇役員・・・

子供がいると、
避けて通れないなんちゃらの役員。

PTA、子供会、クラス委員。。。
大きな役も引き受けたりしたことも。
家族そっちのけで、
密にメール、電話、確認、資料つくり。。。

鬼のように忙しい日々でした。
ボランティアというより、ただ働き。

あんなに仕事が多いと、誰もやりたくないと
敬遠されても仕方ない。

頼む人も、他の人にたくさん断られて、
自分の所にまで頼みに来たのかと思うと、
無下に断るのも忍びなくて、
最終的に、私で良ければ・・・と
引き受けるのだけど、

傍から見たら、

”好きでやってる”

みたいに思われていたりいなかったり。
なんだかなー。

ちょっと違うんだよなー①力が強すぎ

海外にいた頃も、
読み聞かせボランティアがあり、登録していました。

でも、一度も参加しませんでした。

人数もかなり多く、

みんなで仲良くお茶しておしゃべり

みたいな一番苦手な雰囲気でした。

長年、ボランティアに在籍していた方は、
学校にもかなり押しが強く、
色々とモノ申していた。

んー。ちょっと違うんだよな。

ボランティアに、圧力って必要か?

ちょっと違うんだよなー②ひとりよがり

長年、ずっと地域のボランティアをされてて、
かなり有名な人がいる。

子供さんはもう立派な大人だけど、
小学校の行事には必ず参加、写真撮影。
毎朝の登下校の見守り、
子供会などの行事も、いつもいて、写真撮影。

とにかく、人が集まる日に、
見かけないことはないのだ。

昔は、


地域の為にそこまで時間と労力を使うなんて、
すごい人だなーーー。

と思っていたのだけど、

全く目的の分からない事を
個人的にしていたりして、
誰かに必要とされているかどうかより、
自分がやりたい事を好きなようにやってるだけ?
と疑念がわいて来てしまい、


この人は、何の目的で、
ここまで時間と労力を使ってるのか?

と尊敬出来なくなってしまったのだ。

一生懸命にやっている人に、
そこまでしなくていいよ、とは言いずらい。

そうすると、
巻き込まれて自分の時間も取られたりする。

好きでやってる。といっても、
周りとの足並みを揃えるってのも、
ある程度は必要だと思うし、
ボランティアって、
誰か必要としてる人がいてこそのものだと思う。

ひとりよがりのボランティアは
違うんだよなー。

ちょっと違うんだよなー③半強制

半強制、いや、基本強制で
ボランティアに参加という事がある。

最近、よく目にするのは、
集団で、会社周りの道路わきの
ゴミ拾いしている社員。

通勤路の交差点などで

「安全運転」

など書かれたプレートを持って朝から
立哨する社員。

やらされてやるボランティアに
満足感も、幸福感もへったくれもない。

なんだかなー。

きっと、”なにか良い事やってる”という事実を
欲しい誰かがいるだけなんだろうな。

日本の会社って、まだまだ
本当にそういうの多そうです・・・

ちょっと違うんだよなー④自慢とヘイト

ビートたけしさんが、

「寄付(ボランティア)をしたっていうのを
アピールするのは恥ずかしいこと」

(自慢することなく、こっそりやるもの)

と言ってるのを聞いた、母ふくちゃんは、
心の底から共感していた。

ゴミ置き場のゴミが、カラスに突つかれて
散乱している事がある。
でも、いつも何となく片付いていると思ったら、
ゴミ置き場近くの方が、毎回綺麗にしていたそう。
これも、立派なボランティアだよな。

良いことをこっそりやるって、
めちゃめちゃカッコいい。

一方で、そういう事を”偽善”だと、
忌み嫌う人々もいる。

する選択も、しない選択も自由なんだから、
どうぞご勝手に、で良いと思うんだけど、

やらない人を馬鹿にしたり、
やってる人を嫌悪したり。

なんだかなー。

”人の為”の本質。

困ってる人を助けたい。
必要な人に届けたい。

というのは、ボランティアの前提ではあるのだけど、
もっと本質を考えなきゃいけない、
という場面に出会ったことがある。

南米に住んでいた時、街の至る所にホームレスがいた。
ホームレスって、ほとんどがおじさん、おじいちゃん、
時々おばさん、おばあちゃん。

ってイメージがあったけど、
南米は、若者や子供も多い。

スーパーの出入り口付近などには、
小さな子供を連れたお母さんが座っていた。
無邪気に遊ぶ子供を、
誰もが可哀そうに・・・と思う。

買い物を終えてスーパーから出てくるお客さんの中には、
買ったものを与える人も少なくなかった。
私も何度も渡そうとしたけど、
出来なかった。

その事を、友達に話したら、

「それは、渡しちゃダメ!」

ときつく言われた。理由を聞いて
深く納得した。

「ああいう親子は、人にもらってる限り、
あの生活から抜け出せない。
そうやって食べ物をあげちゃう人がいるから、
路上生活なんだよ。そういう親子、全然
痩せてないでしょ?」


”人の為”という本質は、
本当に奥が深いーーー

そう思った出来事でした。

最後に

大事なのは。

そこに、自分の意思があること。

自分の負担にならないこと。
誰かの負担にならないこと。

本末転倒にならないこと。
がんばりすぎないこと。

求められてる事を見抜くこと。

そして、一番大事なのは

時間、労力、能力が
自分にとってちょうど良いこと。

コメント

タイトルとURLをコピーしました