何も考えずに、
”そういうものだから”
と、行動している事がいかに多いか・・・。
なぜ、戦うのか?
2010~2012年、欧州の小さな国に住んでいました。
当時子供たちは、日本人学校の小学生。
(※日本と同じ教科書、派遣された先生で
海外でも日本と同じ教育を受けられる)
現地の特色を取り入れつつも、
おおむね、日本の学校と同じ。
行事も例外ではなく、”運動会”もありました。
人数は少なくても、同じような種目が組み込まれ
一生懸命練習してたのも、日本と同じ。
ある時、グランドで紅白に分かれて
わちゃわちゃしているのを見た現地の方が、

なんで、赤と白に分かれてるの?
と聞いてきた。

赤 vs 白で戦ってるんだよ。

なんで、子供同士で戦うの?

・・・。
私と友達は、答えられず固まりました。
自分たちも深く意味なんて
考えたこともなかったんですね。
それが当たり前だったから。
大人ですら、こういう事でもないと
なぜ、戦うのか?
なんて考えた事すらないのに、
子どもたちなんて、きっと全くそんな事
思わないんだろうな。
良い、悪い含めて、
教育って、ほんとすごい強烈な
刷り込みだよな。
学校行事の意味。
その後、ほどなく日本に帰ってきても、
行事のたびにその事が浮かびました。
下の子が中学になり、体育祭も
よりダイナミックに、指導も厳しさを増していました。
少し前までは、開会式で、行進する姿をみて
うちの子、どこだろ~♪
位にしか思っていなかったのに、
久しぶりに見た日本の中学の入場行進に、
強烈な違和感を覚えた。
これって、去りし日の戦争とか軍隊の名残
そのものなのでは?
綺麗に揃った行進にも順位を付ける。
団体行動に違和感を覚えたり、
参加できない子は、取り残されていく。
でも、一番もやもやしたのは、
だーれも気にも留めていないことだった。
運動会で子供同士が戦う意味、
あんなに何回も行進とか開会式とか練習する意味
卒業式とかでちゃんとできる事が立派なのか?
そういう事でしか成長を計れないのか?
まぁ、一個一個の意味なんて考えてたら
キリがないし、すごく面倒くさい人になる。
学校行事を通して子どもたちが成長するのは、
紛れもない事実だし、
勉強ばっかりしてほしい訳でもない。
ただ、運動が苦手な娘に言わせると、
「体育祭と、球技大会は”公開処刑”でしかない」
と主張しておりました・・・
親はダメな程、いい!
体育祭で「なぜ、戦うのか?」について、
ごく最近、息子に意見を聞いてみたのです。
本人たちは、どう思ってるのか。
高校3年を甘く見ていたつもりはないのだけど、
意外とちゃんとした考えを持っていた。
体育祭で戦う意味↓
団体で行動する事で培われる協調性、 練習を繰り返すことの忍耐力、 役割を与えられることの責任感 個人で争うには得られない達成感 応援する、される、連帯感 自分の力がより引き出され、自信になる それに、その方がふつーに やる気が出るし、 盛り上がるでしょ。
ええ。本人がやらされ感でなく、
そう思っているのなら、
母は、何もいう事はございません。。。
息子は、更に続ける・・・
あのさ・・・・・何でもかんでも 欧米のやり方がすごく良くて、日本がダメで 全て真似した方が良いに決まってるとか、 そういう考え方、良くないからね! 日本には日本の良さがあるし、 今の教育あって成り立ってる事もある。 未曾有の事態が起こっても秩序を失わないとか 団体に属するっていう教育だからこそだよね。 暴動とか略奪とかほとんどないでしょ。
未来を担う子どもが、
自分の考えを自分の言葉で主張する。
ネットで言いたいことを一方的に垂れ流すんじゃなくて、
相手を交えて意見を交わすって、
本当に、気持ちのいい事だな。
私のダメさ加減は、
息子の成長の糧になっているのかも知れないと、
この期に及んで自分を正当化しておく。
身近な争い。
世の中に起きている争いというのは、
ニュースになっている戦争や紛争だけではありません。
いじめは学校だけでおきている訳ではなく、
残念だけど、大人の世界でも身近に起きている。
そこには、体育祭みたいな、
”勝っても負けても”
なフェアプレーは存在しない。
団体で培った協調性は、同調圧力にとって代わり、
与えられた役割の、責任を背負い過ぎ病んでいく。
社会は、確実に個性を求め始めている。
教育と、求められる人材が
ちょっと違ってきているのではないか。
なんて思う私なのです。
なぜ、戦うのか?(再)
私や、息子の考え方が正解かどうか、は
私にも分かりません。
どんな事にでもそれぞれの”答え”があるし、
同じ人でも、状況や年齢でその答えも
変わる事だってあるかもしれない。
誰かの考えを聞いて、変わる事もある。
世の中には、当たり前すぎて、理由なんて
考えもしない事が、たくさんある。
あまりにも、誰の為にもなっていない
悪しきルールもたくさん存在している。
(ブラック校則とかね)
外部の当たり前だけじゃなくて、
自分も、色んな”こうあるべき”を、
無意識に持っているはずだ。
当たり前の壁は、見ようとしないと見えない。
壁がそこにあると、気が付かない。
なんか、辛いなーって時、見えない壁に
取り囲まれてるのかも知れないなー。
世界は変わらないけど・・・
当たり前の事を、なんでそうなのか?
なんて、考えても別に世の中は変わらない。
でも、全く無駄という訳でもない。
今まで考えもしなかったことを考えるって、
自分にとってはプラスになると思う。
それを、誰かと語ればその人にもプラスになると思う。
正解か、不正解か、良いか、悪いか戦うわけじゃない。
最近、旦那さんにもこの手の質問をして、
意見を聞くことがある。
面倒だと思われてるかもしれないけど。。。
ヒトって、
質問したことにはちゃんと考えて
答えるという本能が備わっている
みたいで、
意外にちゃんと話し合いになる。
そして、普段そんな事考えてたんだ、と
いつも思う。
長く一緒に暮らしているだけでは絶対に
知り得なかった考えを知ることになる。
身近に居る人に、
どんどんバカな質問することを、おススメする!
とりあえず、
「運動会で、なんで戦うのか?」
聞いてみてほしい・・・
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