酒がのめるぞー!①

sake1思考回路

大人になって、お酒を飲む。
家でゆっくり晩酌する。

そんなごく普通の事が
子供の頃の私には、自分には出来ない事だと
思っていた。

 なぜなら、私の父はアルコール依存症だったから。

『だった』

と過去形で書いたのは、治った訳ではない。

私が19歳の時に父が急死したからだ。

父の死からほどなく成人した私。


皮肉なことに、父の死と引き換えに、
私は、酒を飲むという幸せを知った。

アルコール疾患

アルコールにまつわる病気というのは、
大きく二つに分ける事ができる。

体に対しての反応がアルコール中毒
 短時間に沢山飲んだ、急性アルコール中毒
 アルコール摂取を続けて、肝臓など体調を壊す慢性アルコール中毒

心に対しての反応が、アルコール依存症
 一度なったら、基本的に完治という事はない。
 お酒をやめ続ける。それが完治に等しい。

 ひとたび依存症になってしまうと、
 多量に飲んだからダメ、少なければ大丈夫、
 というものではない。コントロールが効かない。

 飲酒をコントロールできないのは、
 意思が強い、弱いなども関係ない。
 本能で酒を求めてしまうので、
 きちんと治療というスタンスで対峙しないと
 坂を転げ落ちる。
 周りの理解もとっても大事。
 
 生活に支障が出ていれば、医療機関へ。
 →ここが大事だけど、すごく難しい。

 最近は、遺伝も少なからず影響を与える事が
 分かってきている。
 

俗にいう、”アル中”というのは、
後者の、アルコール依存症の事を指す場合が多い。

どちらの疾患にせよ、絶対にそうならない方法は
ただひとつ

お酒を飲まない

こと。
実にシンプル。
でも、これがとても難しい。

アルコール依存症の家族。

私がものごころつく前、もっと言えば生まれる前から
父の酒癖はひどかったらしい。

私は、兄二人と少し歳が離れて生まれた女の子で、
父は私にとても甘く、
何の疑いもなく、私も父が大好きだった。

・・・のは、小学生までかな。
飲まなきゃ、本当にいいお父さんだったの。

酒を飲んでしまっては
車をぶつけて来たり、仕事を休んだり、
警察沙汰、なんてのも何回かあったな。

母は、病気だと理解していて
表立って腹を立てる事もあまりなかった。
父がやらかして誰かに迷惑をかけたときは、
いつも父の代わりに謝罪していた。

家に居る時は、いつもエプロンをつけていた。
料理するためではない。
エプロンの大きなポケットに、
いつも財布と車のキーを入れていたのだ。

父の状態がひどくなったらいつでも
身一つで逃げる事ができるように。

私たち兄妹は
お酒を止めれないのは、意思が弱いから!
辞める気がないから!

と、段々冷めた目で父を見るようになっていた。
思春期ともなると、さすがにねぇ。

そもそも、こどもが親を
”長い目で見る”
なんて無理だよね。

晩酌のシステムがない

アルコール依存症だと本人や家族が自覚した場合、
家に一切のアルコールを置くことはない。

酒を断つことだけが、症状を出さない
唯一で最強の方法だからだ。

だから、子供のころは
ドラマのシーンや、友達の家の話を聞いても
家でお酒を飲むという事が、現実にあるのが
信じられなかった。

みんなのうちのお父さんは、
なんであぁならないんだろう?
どうしてうちのお父さんだけ、あぁなんだろう?

って、いつも不思議だった。

晩酌をするおうちでは、お母さんが
”酒のつまみ”を用意するというのを
聞いたときは、心の底から驚いた。

夕飯のおかずの他に
お酒の為だけに他のおかずを作るの????
あなたのお母さん、すごいね!!!

本気で、そう思っていた子供時代。

だって、酒がそこにあるから。

自分は一滴も飲まないと決めても、
周りの人はそんなことはつゆ知らず。
楽しそうに美味しそうに飲んでいる。
当たり前だけど。

たとえ、家に一滴もお酒がなくても、
その辺の酒屋で簡単に買えるのです。大人ですから。

小学生だったころ、
父が隠れてお酒を買っていた酒屋さんに
父の写真を持って行って、

「うちのお父さんにお酒を売らないで下さい」

って、何度お願いしに行こうと思ったことか・・・。

母は、いつも「向こうも商売だからねぇ」
と困った顔をしていたから実現出来なかった。
そもそも私にそんな勇気は無かったのだが。

子どもの適応能力

家庭に問題があっても、子供自身は気が付かない。
他の家庭を知らないし、そういうものなのだと思っているから。

うち、何かおかしいぞ?!

って悟ったとしても、誰かに助けを求めたりすることはない。

ただ、できるだけ状況が悪化しないように、
常に様子を窺っていた。

父の様子を見ていたら、

(あー、今から飲みに行くつもりだ。)
って、分かっちゃうから、

「お父さん、どこ行くのー?私も連れてって!」

と無邪気に父にくっついて行き、
父を一人にしないようにいつも気にかけていた。

でも、私を連れてぐるっと一周したらすぐに
車から降ろされて、結局飲みに行ってしまう。
(もちろん、飲酒運転ですね)
飲む事がよぎったら、もう我慢なんてできないのだ。

誰に頼まれた訳じゃないけど、それが私が唯一
協力できることだったんだね。

小さなあたし、出来る事を頑張っていたんだ。

今、語れば、ものすごく辛い事がたくさんあったけど、
意外と淡々と日々を過ごしていた気がする。

子供の適応能力は大人が思っている以上だと思う。
でも、もし適応出来なくなってしまったら、
それまでの健闘を称えて、ゆっくり休ませてあげてほしい。

アル中も、色々タイプがある。

アルコール依存症というのは、実に色々なタイプがある。
でも、酒が入るとコントロールがきかず、
生活に支障を来すのはみんな同じ。

私が見聞きしたアル中の人々

  • 酒以外のものを一切口にせず、部屋に閉じこもり数日飲み続ける
    →最終的に、意識朦朧として、救急搬送
  • 気が大きくなって、冷蔵庫や洗濯機など大物を買ってくる。
  • とにかく暴言や暴力(被害者は圧倒的に妻が多いと思う)
  • べろんべろんでも運転する。
  • 仕事を無断欠勤、長期で休む

私が実際に見聞きしたのはこれくらい。
他にもいろいろなタイプがあるのだろうと思う。

父は、暴言、狂言、時々暴力、
車は、信じられない位何度もぶつけていた。
プライドが高いので、毎回きっちり修理していた・・・

人身事故が一度もなかったのは、不幸中の幸い。

でも、酒飲まないと、
”普通以上にかなりいい人”
なんだよねー、みんな。

奇跡のコーヒーカップ

父は、酔っぱらうといつも食器を割っていた(謎)
食器を持って裏口から叩きつけてみたり、
母に向かって投げてみたり、
とにかく、食器。

悪い事してるぜーみたいに
不良が学校のガラス割る感覚???

そんなわけで、揃ったお皿は無くて、
いつもあるものを使っていた。
買い直すのもバカバカしいって話です。

思い切り投げつけられたのに、
父がよくコーヒーを飲んでいたカップだけ、
無傷だったんです。
母は、その後から父が酔っぱらった時は、
父の目の付くところにそのカップを出して置き、
それを投げさせていました。

その、奇跡のカップは、父の死後、
速攻で処分されまして、
投げたら割れる、普通のカップに買い替えてました。
投げる人もいない訳ですしね。

最近、そのカップをネットで調べたら、
昭和レトロなる分野でオークションにありました。

石塚硝子 ADERIA アンバー(琥珀色)

という商品です。当時、流行っていたのかな?

幸せは、自分自身の対比

このGWに、末っ子が18歳になり、成人となりました。
お酒は20歳からなので、まだ飲めませんけどね。

息子が20歳になった時、

「家でお酒が飲めるって、幸せなんだよ!」

って言っても、ピンと来ないんだろうな。
普通の事でしょ?ってなるよね。

震災で被災した方々の気持ちは、
やっぱり被災者本人しか分からない。

自分の経験した事との対比が大きければ大きいほど
幸せは大きく感じる。

すっごくおなかすいた時の塩おにぎりが
最高に美味しいのと同じ。

そう思うと、
辛い経験が多いほど、幸せが大きい、という事。
世の中、そうあってほしい。

私は、父が生きていた事、死んだ事、
両方合わせて感謝している。

今も生きていたら、そういう気持ちにはならなかった。

どちらにしても、
父と一緒にお酒を飲む事は無い人生。

それだけ。

こんな父親を持ちながら、それでも酒を飲む私の話は
酒がのめるぞー②へ。近々公開!の予定

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