理想は現実の中にある。

暮らし

4月から、末っ子の息子が大学進学で家を出た。

この家で夫婦ふたりで暮らすのは、
23年振りの事だ。

マスク着用は個人に任せる。
となった頃から、
オットのリモートワークは激減し、
ほとんど出社する日常が戻って来た。

私はと言うと・・・相変わらず無職。
子供が居ない家で
オットの帰りを待つという、
時間を持て余してどうにかなりそうな
そんな自分を想像していたが、
時間というものは、いくらあっても足りない。

”専業主婦”だと
昼間何してるの?暇すぎない?
というイメージを持たれるが、
「あー暇だー!退屈だー!」
と感じた事はない。

ずっと忙しく動いてるか、というと
そうでもなくて。
ぶっちゃけ生産性はかなり低めですけれど、
ボーっとしてる訳でもなく、
お昼寝してる訳でもなく、
一日はあっという間に過ぎていきます。

自分も知らなかった自分。

GW明けから

帰りが遅くなるから、夕飯は要らない

とオットに言われた。
自分ひとりだったら、
昼も夜も何にも作らなくても
”その辺にあるもの” ”あまりもの”
で何とかなってしまう。

何も作らなくなる自分を想像していた。

ところが、ほどなくして

『自分ひとりの為だけに、ちゃんと料理する』

という、自分でも信じられない現象が起きた。

料理が好きか嫌いか史

子供のころから、
お菓子やケーキを作ることが大好きだったけれど、
料理は別に好きではなかった。

でも、インターネットで色んな料理を試せるようになり、
子供が成長してたくさん食べるようになると、
どうせ労力を使って作るなら美味しい方が、
みんな喜ぶから。と料理にハマっていった。

私は料理が好きだ。
私の趣味は料理だ。

自分が作ったモノを喜んで食べてくれているうちは、
そう信じて疑わなかった。

子供が成長し、料理を褒めてくれない、
急かされたり、文句を言われるようになると、
料理自体が段々苦痛になってきた。
いいオトナが結局褒められったかっただけ・・・
ガックシ↷

自分一人だったら、ここぞとばかりに
カップ麺とかパンを買って来たり、
適当な事が多くて、

本当に料理が好きな人ってのは、
自分だけの為でもちゃんと丁寧に料理するものだろう。

そんな人に憧れすら抱いていた。

あぁ、子供たちが家を出て行ったら、
もう料理する気概がなくなるのではないかと、
長い事、そう思っていた。

愛しき野菜たち。

自分の為に料理する事がそんなに偉いのか?
と言われれば、そんな事もないのだが。


ちょこっと買ってきた方が経済的だと言う人。
そんな事、当たり前でしょ。と言う人。
どっちも正しい。

私にとって、最近の一人の食卓(主に夕食)は、
ずっと憧れていたシチュエーションなのです。

食卓に上る、
野菜の多くは、自分で育てた野菜・・・。

旬の時期はしばらくの間同じ野菜ばかり。
でも、これが
自分の為に作る原動力になっている。

家族の為に料理してると、連日同じ野菜だと
あからさまに不満そうだから、メニューを考えるのも
一苦労だったけれど、
自分だけが食べるなら、とっても気が楽~

オットは、メニューに文句など言わないし、
毎日同じ野菜を出してもいいよ、と
言ってくれるけど、ちょっと申し訳ない気がしてしまう。
(でも結局出しちゃうけどね)

最近だと、絹さやとスナップエンドウを
ほぼ毎日食べていた。
今日は、バター醤油で、
昨日は、塩コショウで、
その前は、茹でてマヨネーズで。

誰にも文句を言われず、
自分で育てた野菜が並ぶ一人の食卓は
私の理想そのものだ。

畑を始めて5年位経つが、
ずっと失敗していたビーツという野菜を
今年はやっと収穫できた。

たっぷりとボルシチを作って、
連日朝も昼も食べた。

小さな種から育てた立派なビーツは、
まるで一人暮らしを始めた息子のようで、
本当に愛しいのだ。

本趣味の、お菓子やパンもよく作る。

「何か送ってー!」
と時々おねだりしてくる娘に送っている。

時間を持て余すと、
余計な心配ばかりする私を気遣っている事を、
ちゃんと分かっているつもりだ。


子供たちが家から出た後、何もする気が起きないかも。
時間の制約もなくてダラダラしちゃうかも。
と思っていたけど、杞憂だった。

現実の生活を楽しむことが夢に近づく方法なのに、
多くの人は、夢は現実の中にないと思っている。

chocofumi愛読書

この言葉がずっと自分のテーマみたいになっていたけど、
50歳を目前に、やっと体現できた気がする。

誰かに褒められなくたって、
私は、やっぱり料理が好きだったのだ。
これからの夫婦だけの生活を楽しもう。

理想は、日々の生活の中にこそある。

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