期間不明限定。

思考回路

筋トレを始めて、3か月が過ぎようという頃、
健康診断がありました。

何年かに一度の節目の検診ということで、
骨密度、MRIなど、普段はやらないところまで細部に渡り
オットと一日がかりで臨みました。

食事にも気を使い、毎日の散歩、筋トレも順調で、
これ以上健康に気を使いようがないし。と
かなり上機嫌に帰宅したのでした。

年末になり、正式な検診結果が送られてきたのだけど、
私は二度見、三度見した。

血液検査は◎だったのだけど、
画像診断の肺と肝臓が

『要受診』

の文字。

今まで、「軽度症状が認められるが、放置可」
みたいのは、あったけど、いきなり受診しろとは↷

私が、病気だなんて、世の中の人ほとんど病気なんじゃ?
なんて心の中で検診結果にツッコんでみても、
不安がじわじわ広がって来る。

敵の正体が分からない事には、不安になるばかりだ。
とりあえず、記載されている診断結果の単語を調べる。

検索結果を見て
「なーんだ、そんな深刻って訳でもなさそうじゃん。」
「こういうのは、たいていは、大丈夫なんだよね。」

とりあえず、受診してみて、
何もなければそれでいいし、
何かあっても、その時考えればいっか。

自分でもビックリするくらいの
切り替えの早さでした。
(約1時間!)

後日、問い合わせをしたところ、
「1年後に、今の画像を持って変化がないか受診してほしい。」

ということらしく、一年は経過観察というオチなのでした。

今、何をすべきか分かり、ホッと一息。

とにかく今のペースで過ごせばいいのだ。

期間限定のチカラ

前置きが長くなりましたが。

改めて、 

”当たり前の日々はない”

”当たり前は、突然失う事がある”

という事を考えましたね。

実は、今まで生きて来た中で

「この生活は当たり前じゃない。」

と、毎日強く思い続けていた時期がありました。

36歳~38歳の頃です。

その頃どこで何をしていたかと言うと、
オットの一度目の海外赴任で欧州に住んでいました。

その3年間がどんな日々だったかというと、

子供の小学校の送迎など毎日決まった行動ですら、

この景色は今しか見れない。
数年で日本に帰るから、
この生活は当たり前じゃない。
目に焼き付けて置こう。

木々の葉っぱの色の移り変わり、
雪が落ちてくるグレーの空、
ニコッと微笑んでくれた誰か、
スーパーの前でお利口に待つ犬、
全てがキラキラしていて、
まるで、恋をしているかのよう。

”期間限定”ってものすごいチカラなんですね。


あまりに充実していたせいで、

「今日が人生最後の日でも、全く悔いはない」

と本当に、毎日思っていました。
こんな感じで初めての海外生活は、
ずーっと「危ないくらいハイ」だったのです。

一番大事な、当たり前じゃないもの

あと1か月程で、日本に帰国するというある日。

いつものようにバスで子供を学校に送り、
いつものように徒歩にて帰宅する途中のこと。

いつもと同じ道を
いつもと同じように、
”この景色もあと少しだな~”

と思いながら歩いていました。

横断歩道の信号が赤になったのを認識していたのに、
吸い込まれるように、ふらっと道路を横切ろうとした

その瞬間、青になって直進してきた車と衝突。

私は、吹っ飛んだ。

ーーー東洋人が赤信号で突っ込んで、
   車に轢かれて吹っ飛ぶ

大きな交差点で、
全てがスローモーションになり、
ほんの一瞬なのに、長い時間のよう。

信じられないくらい、私は完璧な受け身をとりまして(自称)
(力士のように腰を落として両手で車の前を受け止めた!)

ジーンズの膝と手袋が破れたのと、
少し擦りむいただけという極めて軽傷だったのです。
自分で勝手に転んだ時の方が、
もっと酷いケガしてる気がする。


赤信号で待っていた他の歩行者のおじさんには、
私が無事なのを見るやいなや、
もの勢いで怒られました。

「大丈夫か?!」

とかじゃなくて、

「おまえ、赤信号だったぞ!何やってんだ!!!」

と多分、そう言っていた。
さすが自己責任の国。

”魔がさす”ってこのこと。
今も、何でそんな行動をとったのか、分からない。

その時の事を時々思い出すのだけど、
あの時私が飛び出してしまったことや、
ほとんど無傷で無事だったことの
意味を考える。


ただ、運が良かった。それだけ。。。


別に意味なんてないんだろうけれど、
忘れた頃にあのスローモーションのシーンを
度々思い出す。

当たり前の日々はない、と毎日思っていたあの頃。

海外のスリリングな生活や、
素敵な景色や特別な経験。

『当たり前じゃない』

と思っていたのは、
全て自分の周りの環境に帰属するもので、

本当に当たり前じゃないのは、

「自分が存在している事」

私の海外生活は、もちろん期間限定だけど、
自分自身も、50年か、80年か、100年か・・・
不確定ではあるけれど、
期間限定な訳です。

生きていると、思ってる以上に
悪い事が多い。

人に話せないような深いこと、
話すまでもない小さなこと、
このブログにも書きたくても書けないことも。

常に「当たり前の日々はない」と思ってるのは、
結構疲れる。
何か良くない出来事があった時に、そう思えばいい。

いちいち考えないだけで、誰もが知っていることでしょ?

期間限定の自分も、
生を受けてから、50年も経った。

『50歳』ってまだこれから。って感じだけど、
『50年』って、充分長い時間だよな。

期間不明だから、頑張ろうとすると疲れる。
カラ、マデの、マデが無いのはしんどい。

ちょこふみ(1974~    )

慌てなくても、この空白はいつか埋まるのだ。

いい事も、悪い事も起こるであろう、
新しい一年をただ、過ごしていくだけだ。

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