久しぶりに、どうしようもない気持ちになっている。
母(ふくちゃん)が天寿を全うした。
認知症で介護は大変だったけど、
晩年はグループホームに入所したから、
少し優しい気持ちで接する事ができたと思う。
最後の呼吸を見届けた時、ふくちゃんの手を握っていた。
頑張った、ふくちゃん。
頑張った、わたし。
悲しさはほとんどなくて、ただ、
「本当にお疲れ様」
最後まで一歩一歩、歩みを進めてゴールするのを
見守っているような気分だった。
泣くこともない。
暗雲が立ち込める
亡くなった日、
長男のタカは、普通に仕事していて駆けつけもしない。
次男のノリは、施設に顔を見に来てすぐ帰った。
全ての葬儀の段取りをしたのは、わたし。
ある程度備えていたから、慌てなかった。
お通夜と葬儀の日程が決まり、
2人の兄も含めて、打ち合わせなどをしていた。
ふくちゃんのこれまでの軌跡、経歴などを聞かれる。
人柄や、それにまるわるエピソードを聞かれる。
どこで産まれたとか、知ってることは答えられる。
でも、人柄?エピソード?・・・
兄妹3人揃って、何度も固まった。
何も。
本当に何も。
思い出せないのだ。
正確には、”この場で話せるようなことが” だが。
50代で急死した父の事を聞かれる。
50過ぎで父に先立たれた可哀そうなふくちゃん。
その後、苦労しながら、3人の子供を立派に
育てたふくちゃん。
世間はそれを求めている。
ほとんどの人は、そっちの世界で生きているのだと、
思い知る。
そんな場所で、
「父が死んでくれて、家族みんなホッとしました。」
とは言えまい。
父のアルコール依存症についての記事↓
幼少時代の事に触れてます。
母への思いが揺らぐ
ふくちゃんは、5人姉妹の長女。
妹(叔母)たちが駆けつけてくれた。
何度も聞いたことあるふくちゃんの子供の頃のはなし、
ふくちゃんの両親のはなし、
女が3人以上揃うと、話は尽きない。
今まで何度も聞いたことある、ふくちゃんのエピソード
いつも聞き流していたのに、引っ掛かりを感じる。
成績が非常に優秀だったらしいふくちゃん。
おじいちゃんの
「大事なのは学歴よりも、人柄。」
というクソみたいな哲学で高校へ行けず、
ずっとそれがコンプレックスだったふくちゃんの話、
父のアルコール依存症が悪化の一途をたどり
ふくちゃんが一時避難した時、
「離婚するなら、子ども3人置いて一人で来い
でないと、共倒れになる。」
とおじいちゃんが母に言った話。
おじいちゃんが、
「子供つれて逃げてこい」と言ってくれなかったこと。
ふくちゃんが、
自分だけ逃げるか、我慢するかの二択で考えてしまったこと。
そこに居るしかできなかった私たち兄妹は、
そのオトナたちに従うしかなかったこと。
でも。
母が子供を置いて逃げた場合、
子供を連れて、逃げた場合、
留まって怯えながら我慢する場合(実際はコレ)
どれを選択しても、どん詰まりの結末。
私たち3人は、
この家に生まれた瞬間から、
幸せになれないと決まっていたのだ。
ふくちゃんの死で、初めて
蓋をしていた最悪の結論が導き出されてしまった。
葬儀の中で、司会者の人が父や、ふくちゃんのことを
イイ感じに語っている時に、
私は悔しくて泣きそうになった。
完全なる、機能不全家族だった。
オトナになって、結婚して、私は幸せに生きている。
だから、もう過去の事は清算済みだと思い込んでいた。
独身のまま、楽しみも見つけずに
淡々と過ごす兄二人に対し、
”自立したオトナだから、自分で選択できる。
自分が幸せになろうとしたらなれるのに、
過去に縛られてる愚かな兄たち”
自分が幸せになったもんだから、
そう揶揄していた。
不遇な子供時代は、
後の幸せで埋め合わせできるのに、
なぜしないのだろう。と。
でも、これは、大間違いだった。
子供時代の闇は、
どんなことをしてもどうにもならないのだ。
今までどうして気が付かなかったのか、
自分なりに考えてみた。
亡くなった父の事をこれまでも
ふくちゃんとよく話していたけど、
「でも、お父さんは悪い人じゃなかったのよ」
とふくちゃんは締めくくる。
もう、思い出になっているのだ。
私たちと、ふくちゃんでは、
同じ家庭内で過ごしていたとしても、
立場が全く違う事に気が付いた。
ふくちゃんは、自分で選択できたのに、
我慢して父と過ごすことを選んだ。
大変だったけど、頑張った満足感。
自分さえ我慢すればという、自己陶酔。
(私の介護と同じだな)
でも、子どもは違う。
選択権がないんだもの。
そこに居るしかないんだもの。
ふくちゃんがいなくなった事で、
機能不全家族
に生まれ育ったのだと、初めて認めざるを得なくなった。
子供は、ふくちゃんの我慢と根性と
頑張りを認めてあげてる存在だっただけ。
お母さんは、我慢強い。
お母さんのお陰。
これも一種の崇拝だったような気がしている。
本当の意味で、
誰も私たち3人兄妹の事を
認めてくれた人は居なかったのではないかと
気が付いてしまった。
ふくちゃんが苦労したことは、
紛れもない事実だし、感謝もしている。
私たちの幸せを願っていたことも知っている。
でも、父だけでなく、ふくちゃんも、
機能不全家族を構成していたことに
変わりはない。
今なら、兄たちが、
それほど母に感謝していないのも、理解できる。
ものすごい虐待とか、ネグレクトとか、性被害とか、
信じがたい家族がたくさんいる中で、
私んちも大変だったけど、
もっと大変な人に比べたら、全然マシ。
そう思っていた。
何でもかんでも、名前をつけて、
私、HSPなんですーとか、
発達障害グレーゾーンですとか、
自分の事を積極的にアピールしてる人も、
正直、理解できなかった。
でも、実際は、
自分の事を直視してる人の方が、
よっぽど、オトナだ。
濁った後は、どうなる?
自分の中心に、水が入ったコップがある。
普通は無色透明な液体が入っているが、
自分で選択できない不遇な子供時代
その液体は濁っていた。
今、幸せに過ごしていて、コップの水は
無色透明だと思っていた。
でも、子供時代の濁りは、下層にヘドロみたいに
残っていて、何かの拍子に、
かき混ぜられてまた濁る。
ふくちゃんの死をきっかけに、
今、コップの水が濁っている。
このヘドロは、絶対にろ過出来ない。
自分の中から消えない。放射性物質のように。
自分で選択した上での苦労や失敗では、
濁らない。
それは、自分の成長だし経験。
今、幸せに生きていても、
下層には、常にヘドロがある。
自分がそういう類の人間なのだと、
死ぬ前に気が付けて良かった。
PTSDだとか、メンタルの不調だとか、
不遇な子供時代を過ごした人は、
オトナになっても生きづらさを抱えてる人が多い。
そんな昔のこと、いつまでも引きずってても
しゃーないやん。
今が幸せなら、おっけーやん。
世の中には、そう思ってる人が
圧倒的に多いと思う。
でも、違うんだよ!
時々自分の心のコップが濁る事は、
どうしようも出来ないことで。
ずっと、無色透明で、
どれだけグルグルかき混ぜても濁らない人には、
多分、一生分からないし、
分かり合えないと思う。
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