【中年の危機】沈みゆく途中。。。

思考回路
中年の危機(ちゅうねんのきき)とは、中年期特有の心理的危機、
また中高年が陥るうつ状態、不安障害のことをいう。

ミッドライフ・クライシス(Midlife crisis)の訳語であり、
ミドルエイジ・クライシス(Middle age crisis)とも表記される。

40代終わりに近づくにつれ、
更年期障害の症状が加速して来たのと並走して
この、”中年の危機”という奴につかまりました。

このブログも、そんな状態の中手探りで始めました。

超ネガティブな自分でも、
ただの愚痴ブログにはしたくない。

気持ちが溺れて沈みかけるなんて常。
沈んでも、少しだけ頑張って水面に顔を出す。

その時に、自分が見た景色や気持ちなどを
綴ってきたつもりです。

しかし、現在。

私はゆーっくり、確実に、
ひたすら沈んでいます。
今は、頑張って水面に顔を出す気もない。

そんな”更年期中年女の危機”のリアルを
綴ってみたいと思います。

夫婦の壁

結婚して、24年ほど。
中堅夫婦です。

色々と思う事はあるけれど、それはお互い様。
という大前提はずっと持っている。
独自路線の私に文句も言わないで、
よく一緒に居られるな~

と感謝と信頼の気持ちをずっと持ち
人として、尊敬すらしています。
していました!

ごく最近、家族にとって重大な案件がありまして、
私とオットとは意見が食い違い
その都度、自分の意見を言い、話しました。

話し合ううちに、

こうあるべき、みたいな考え方は本当に
辞めた方がいいよ。
そんなに心配なら、こうするしかないでしょ?!

と、究極の結論を突き付けてくる。
オットは私に提案してくれたつもりだったのでしょうけど、

オットの心の声を要約すると

「どうせ、そんな覚悟はないんでしょ?
なにもしない、出来ないくせに、
いつまでぐちぐちと心配だ、不安だと
無駄なことばかりしてるつもり?」

”共感”は得られないんだな。

これ以上話しても悲しくなるなー
という瞬間が訪れてしまいました。

生物としての男女の役割的、脳の違い的には、
きっと正解であろうオットの論理的思考を
到底受け入れ出来ない更年期妻なのでした。

私の
あーでもない、こーでもない、
でも・・・だって・・・
はかなり強固である事も自認している。
自分でも、本当にしょうもないって事も
よく分かっている。

その後、気分を変えて、
家族の話とは全く違う雑談をしていた時のこと。
ちょっとした記憶違いでお互い
言い争いになり、
(内容は、本当にしょうもない内容・・・
 そして、私の記憶が正しかった)

私の中で育てて来た、
オットに対する信頼と、尊敬の樹の主幹が
ボキッと折れましたね。確実に。

私の言うことなんて、100%間違っている。

私の心配なんて、何の役にも立たない。
(いや、その通りですけど)

そのうち、

私に対して普段なにも言わないのは、
器が大きい人だと思っていたけれど、

ただ、関わるのが面倒だっただけ・・・

子育てに関しても、私のやり方を
褒める事もなければ、否定もしない。

子供にも、
子育てで悩んでる私にも、
関わるのが面倒だっただけ・・・

という恐ろしい結論に行きついてしまった。

一旦こうなってしまったら、
過去の事を遡ってしまう女の性(さが)

そういえば、あの時あーだった。
この時もこうしてくれなかった。

だの悶々とする日々。

ちなみに、過去の話をすると、

「過去の事はどうしようも出来ないから、
 これからどうするかが大事」

と毎回たしなめられるのだけど、
そんな事、言われなくても分かってる。

現在、過去・・・共感ナシ

未来・・・共感の可能性薄↷

共感がないオットと居ることは、
ひとりでいるより孤独

最近読んだ本に書いてあった言葉が
胸に刺さった。

私はまだまだゆっくり沈む。。。

自分の壁

恥ずかしながら・・・
結局、更年期女の愚痴を殴り書きしております。

しかし、こんな事態になるのはもちろん
オットだけのせいではありません(断言)
私の更年期のせいでもありません。

元を正せば、自分の未熟さからくるもの。

つまり、私自身が

精神的、経済的に自立していない

結局、これ!!!

オットが私を甘やかしていたのか、
無関心でいたのかは別として、

自立していないという事実は明らかなのです。

それでイイと思っていた。
それがイイと思っていた。

そんなに頑張らなくていいよ、という自分と
もうちょっと頑張りなよ、という自分を
天秤にかけて、ずっと楽な方を選んできた。

楽な方を選んで来たのに、
結局不安も悩みも心配もキリがない。

自分は成長してないから、
抱えきれなくなってしまった。
(↑今、この状態)

今や、成長した子供たちにとってすら、
私が言う事なんて、

”取るに足りない” 事ばかり。

だって、何も成し遂げてないから。
嫌な事も逃げないで頑張るって姿、
見せて来なかったツケを今、
ひしひしと感じている。

私の話に耳を傾けてくれる家族は、
成長して、もう前へ進み始めているのに、
自分だけが、取り残されている。

壁づたいに歩く・・・

少し前に、仕事を探し始めたのだが、
応募した先から連絡が来て、

「うち、60代以上の男性を募集してまして・・・。
 募集要項には、今の時代”男性募集”と
 書けないので、欄外に
 ”60代以上の男性活躍してます”と書いてます。
 長年、ここで働いていますけど、女性の応募は
 初めてです。」

と申し訳なさそうに断られた。

世間とズレている自分にフリーズ。
で、やっぱりやめとこう・・・と楽な方へ
気が向いたら、また探そう。
(↑今ここ)

「外へ出て働くのにも、
向き、不向きというのがあるよねー。」

って、頑張った人だけが使っていいフレーズを
しれっと使っていた。

「家にいるのが好きなんだよねー」

もしつこいくらい言ってる。
これは、事実だけど、実際は
「外で働くくらいなら」
という枕詞が付く。

その代償と言っては何だけど、
お菓子とパンを趣味だと唄って、
自己肯定感を保ってます。

でも、どこかでちゃんと習得した訳じゃないから、
笑っちゃうくらい自信はない。
だから、褒めてくれる人にしかお裾分けしない。

パン屋さんとかで働けばいいのにー。と言われたら
「趣味を仕事にしなくない。
 趣味は趣味だから楽しいんだよ。」
とカッコつける。

こうやって、自分の壁を超えることなく、
壁際をトボトボ歩き続ける人生をすごしている。

壁沿いを歩いていたら、どっかにポッと
向こう側に繋がっている場所があるんじゃないか。って
この期に及んで考えている。

まだまだ、沈む重りネタはあるけれど、
これくらいにしておこうかな。

今日のできごと

抹茶のケーキを作りました。
3層になっていて、ちょっと手間もかかりました。

それをすぐ食べれるように、
カットしタッパーに入れてあったので、

出先からオットに

「冷蔵庫に、抹茶のケーキあるから
 良かったらどうぞ」

とメッセージしました。

帰宅すると、オットに
どこにあるか分からなかったから、
食べてないと言われた。

冷蔵庫の抹茶ケーキが見つからないって、
どういう状況???????

①食べたくない
②興味ない
③そもそも探してない

のどれかか全部でしょ?!
甘いモノ(特に抹茶味)好きなはずなんだが。
別に無理して食べてくれなくても
いいのだけど、微妙に傷ついた。

夜。無性に唐揚げがたべたくなり、
気になっていたお店に二人で出かけた。

私が頼んだ唐揚げをひとつあげたら、
「うまっ!」
って食べてたのよ。

私が作った唐揚げに、
そんな事言われた事ないなー
って思ったら、悲しくなった。

今日も、ゆっくりと沈んだなー
沈まないように、もがくと苦しいけど、
ただ身を任せて沈むのが心地いい。

・・・って。
また楽な方に行ってるし!

中年の危機。
私の場合は、こんな状況なのですが、
仕事を頑張っている人はその人なりの、
独身の人はその人なりの、
それぞれの危機を過ごしているのだろう。

もしかしたら、オットもその一人かもしれないし、
(てか、たぶんそう!)
友人や、兄や、周りの人はかなりの確率で

「自分の人生は何だったのか」
「このままでいいのかな?」

って考えてるんだよね。
みんな、壁を乗り越えられずに、
壁づたいにウロウロしているのかもしれない。

そして、それは必要な時間なのかもしれない。
などと思ってみることにしよう。


なんの出口も糸口もないブログを、
最後まで読んでくれたあなたに、感謝です。









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